私の父

目次

序章

私の父は決して人に褒められる人でもなかったけど、お人好しと言われる位に人が良かった。

学も無かったので、できる仕事は現場系。

沢山の仕事をこなし、毎日お酒を飲んで、酒臭いと言われながらも私を可愛がった。

そんな父が私が中学2年の時、10メートルの高さから落下。

ヘルメットをしていたため、脳挫傷と左の耳が聞こえなくなっていた。

一時期、脳が腫れて痙攣の発作を見た時は、私は「もう、ダメだ」と思った。

峠は越して、次の日見舞いに行くと

父は私を見て、「どちらさん、かいね?」と言った。

脳が腫れた後遺症で記憶障害になっていた。

記憶障害

このまま、どうなるのだろうと私は心に不安を持ったまま

病室の椅子に座っていたら、担当の先生が来た。

先生が、「気分は、いかがですか?」と問うと。

父は「おいね、早く退院して仕事をしないとダメなんや、先生何とかして治してくれ、

わしゃ、まだ中学生の娘がいて学校出さないといかんのや」

と泣きながら、先生にお願いをしていた。

私は目の前にいるのに、顔も覚えていないのに。

それでも、私を忘れまいと必死に父は戦っていた。

その姿を見て泣くのを堪えていました。

それから、父は見事回復し

色々と痛い事しましたが(笑)

その後

30年が経ち

父は可愛らしい、おじいちゃんと看護婦さんに可愛がられて

去年の秋に享年80歳で見送る事ができました。

私の自慢の父です。

スポンサーリンク

私の体験した実話ですが

短い、ちょっとした良いお話に聞こえますが、私の経験した事です。

父の酷い痙攣やひきつけ、看護婦さんや医者の対応を見てたら

「ああ、父は死んでしまうかもしれない」

頭に過りながらも、ボーっと見ていた事が懐かしいです。

私の顔を見て、他人扱いして、医者には娘がいるから助けて欲しいと泣く父を見て

親というのは、子供を思う気持ちが凄い強い事だけが伝わりました。

回復してからは、私の事を忘れていた事は父も知らないです。

私しか、知らない事なので言っていませんでした。

ただ、言ったら父が落ち込むかもしれないと気を遣ったのかもしれません。

今となっては、私だけの良い思い出になっています。

私が同じ状態になったら・・子供の事を忘れてしまったら

回復した後も、少しは悔やむかもしれませんね。

親の愛情は、子供には中々届かない物なのかもしれない。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!
目次