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さいしょに
はい、藤野紫菊です。
今日は私の話でもしようかなって思います。
私は小さい時から変なことを言う子供だったようです。
そういう私を母は嫌がっていました。
成長していくと私も母に言うことをやめました。
幼い頃は母親がすべてなので、素直になんでも報告をしていましたが。
「あっこんなことを言うとお母さんが嫌がる」
と理解して言わなくなりました。
私が三歳のころ
私は小さい頃から怖がりだったと聞いております。
今では取り壊して無い私の実家は建物が古く変わった作りをしていました。
元々の本家が本当に大きい家なので余った家の一部を父方のおじいちゃんが貰い。
父が今風の家みたいに改造したみたいです。
そんな家ですので、一般的な家と何か作りが違いました。
玄関は中に入るとL字型の廊下があって、靴を置く場所が広いんです。
靴の奥場所はコンクリートで広くて自転車を6台は余裕で置けました。
私の自転車と兄の自転車とバイクが置いてありましたから。
私はこれが普通と思ったのですが、大きくなって友達の家に遊びに行くと違うことがわかりました。
家の外に鍵を付けて置いてるのを見て私の家は何か違うなって感じでした。
本家ではないですが、新宅の家といっても私が家を継いだら10代目と父から聞いていました。
そんな、変わった古い家だったのですが、私は夜が嫌でした。
夜にトイレを行くのが本当に嫌でした。
トイレは玄関の横に汲み取り式でしたが家の中にあったのですが、暗い玄関の前を通らないといけない作りでした。
私は母親とか兄について来て欲しいとお願いしますが、母も兄も
「そんな甘えたこと言うのは駄目だ」
と言って私一人に行かせようとします。
じゃあ、怖いから玄関と廊下の電気をつけて行こうとすると
「そんなの電気が勿体無い」
と怒られてしまいます。
一番嫌な真っ暗な廊下と玄関を通らないといけません。
よくある、小さい頃の話だと思うと思います。
でも私は中学生になってもそれは嫌でした。
小さい頃はもっと嫌でした。
私の家の玄関は広いので母のお花の植木鉢も綺麗に飾るお洒落なスタンドがあり沢山飾っていました。
大体こんな感じのスタンドで沢山のお花の植木鉢が飾ってありました。
その前を通るのが嫌でした。
暗い状態で通ると
目が合うんです。
顔が見えるんです。
それが何か分からなくて最初に母に言ったら嫌がられました。
気のせいだから見るなと
でも三歳の私は見ないように歩いても、つい見てしまうと
目が合うんです。何かと
でもこれを言うともっと怒られる。電気をつけたら怒られる。
でも我慢できない時はつけて歩いていました。
何故か電気をつけると見えないんです。
私の見ないようにする生活はここから作られてきました。
お風呂場の脱衣所に知らないおじさんがの顔見えるといったら
ものすごく怒られたことが懐かしい三歳の思い出です。
そんな不思議な思い出が多い三歳のお話のひとつのおじいちゃんのお話
小学生のころ
小学生に上がっても怖がりは直りませんでしたが、見ないようにするスルースキルを徐々に上手になっていきました。小学生として日常生活は問題なく過ごしていました。
小学生の頃は、同じ夢を見たり悪夢見たりしてりしていました。朝起きると同じように腕と足に傷がついていたりとなんとも説明できないこともありましたが、それなりに日常生活を過ごしていました。
小学生の頃は自分の部屋が無かったので父と母の布団の間に川の字で寝ていました。
特に問題なく寝ていたと思います。今思えば母の傍が良かったのかなって思いますが。
中学生になってから……
中学生になり、兄達が完全に実家を出て私の部屋が出来たころから変わってきます。
今思えば、兄達が使ってた部屋に問題が多かったんだと思います。
そう思う思い出が三歳の時にありましたから。
兄達の部屋であった三歳の思い出は別に機会に書きます。
兄達が使ってた部屋は完全に和室なので窓が無いんです。
二階を上がって一つ目の部屋でドアでなく障子。入ると勉強机と二弾ベットとテレビとテーブルと本棚で部屋が狭く兄達はこの部屋で寝ていました。障子の向こうは全部押し入れなので窓が無い部屋。
部屋をでて廊下には窓見たいのはありましたが古い家の窓は建付けが悪く開かずの窓でした。
そんな部屋を中学生になった私は一人で二弾ベットの下で寝ることになりました。
それから毎日うなされることになりました。
睡眠不足になるぐらいに。
寝ていたら、ふと目が覚めるんです。
でも動けないし、喋れない。目を開けるとベットの頭の方から私の顔をじっと見る人がいます。
緑色の光をだしたおじいちゃんは怒った顔で私の顔を見ていますが、私はどうしてこうなっているのかもわからず。
動けないし、喋れないし、寝れない。
(勘弁してくれ、寝かして欲しい)
と思いながら時を過ぎるのを待ちました。
当時は金縛りというものが分からなかったですが後で知りました。
次の日も目が覚めて動けません。喋れません。毎回なにか見えるわけでもなく。黒い影だったり。手だけだったり。
思い出したらキリがないですが、頻繁に邪魔されます。
そんな生活が慣れてしまうと、電気を付けたらなる確率が減ることに気づき電気をつけて寝る変人になります。
(今でもその名残があり、簡易照明を弱めにつけないと寝れません)
そして金縛りが起きると
(またか、勘弁してね 寝かしてよ )
って心に思いながらも耐えていました。
そんなころ、私に変な友達ができます。小学生の頃に転校してきた。Nちゃん。
中学生になってから接点がなかったんですが、演劇部のお手伝いをしてたらNちゃんも演劇部にいたので喋ることが増えました。
Nちゃんにしたら転校したての頃に最初に声をかけたのが私だったそうです。(覚えていませんが)
そんなNちゃんが私に
「ねえしぎくちゃんしんどくない?」
「何が?」
「なんかいっぱいいるし」
「何がいるの?」
「言っても信じてくれないかなぁ」
「大丈夫、大抵信じる」
「一番きになるのは白蛇さん」
「白蛇?」
「白蛇さんが怒ってしぎくちゃんの頭噛んでるよ」
その言葉を聞いたときに思い出したのは
三歳の頃兄達が白蛇を見つけて遊んで殺してたのを見てたこと
「あ~兄貴たちが白蛇で遊んで殺してたわ」
「まずいね、怒ってしぎくちゃんが体質的に狙われたんかな」
「そうかあ」
自分がしたことでもないけど何で怒られるか分からないけど、止めずに見てたから同罪なのかなって素直に思いました。
「それ、あたしに頂戴」
「え?白蛇?」
「うん、飼いならせるか試したいし」
「おお、別に構わないけど 気を付けてね」
「ありがとお♪、あとシギクちゃんの家に行ってもいい? 何かできるかもしれんし」
「別に構わないけど」
誰かに聞かれたら頭がおかしいのでは?と思うような会話を最初からしていました。
三歳からの経験が自然と受け入れる体制になっていたんと思います。
このNちゃんのお話は別の記事で書くとして、無事に白蛇さんも取ってもらいめでたくNちゃんのペットさんになりました。
楽しいはずの学生時代が
楽しくて青春するはずの学生時代がライトノベルの小説見たいになっていました。
今、話すネタになっているので別にいいかって思いますが。
人に話していなくても、しぎくちゃんって視える子らしいよって噂はありましたが
私は視えません(笑)
多分良く視えたのは三歳の頃だと思います。
それ以降は、波長が合った時に偉い目に合うだけですね。
ですので
「普通の生活」を目標に努力をしていました。
目の前で起きた説明が難しい出来事は完全にスルーする。
そんなスキルを鍛えに鍛えまくっていました。
こんな体質で良かったことは
不思議なことは自然と受け入れることができますし、普通に神様や仏様を信じます。
生まれ変わりも、死んだあとも何一つ怖くないと信じています。
この世で起きた辛いこと全ては自分が求めた事だと素直に受け入れる気持ちが作れました。
誤解しないために注意
私は占い師でも霊能者でもありません。 視てくださいとか、何とかして下さいはできません。
この説明をしとかないと、こういう話しすると必ず聞かれるんです。
なのでよろしくお願いします。
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