さいしょに
何日か前に初めてスペースで会話をしました。
たまたま、ひげおやじさんがお風呂に入りながらのスペースを開始したので、何も考えずにリクエスト。
テーマの考えも相談事も瞬間に考えての会話・・・。
どれだけ、ひげおやじさんと会話したかったってお話。
ひげおやじさんのことを知らない人には↓
かの有名なひろゆきさんとの昔からのお友達でいいんかな?(知らな過ぎてごめんなさい)
とまぁ、西村博之さんは私の数カ月だけ年下なのはウキペディアで知っていたのでどうしてもひげおやじさんの年齢が気になってた。
年上なのか年下なのか
その予想は軽く裏切られ。
ひとつだけ年下と判明。
落ち着きのある低音イケメンボイスなのに年下でした。
これをきっかけに
スペースに対して抵抗がなくなり、人によってはリクエストを入れても良いんだってことがわかりました。
そんな次の日に
せら課長のスペースで
トークをさせていただきました。
いつも聞くだけにしていました。
てっきり誰かと喋ることが決まってて聞くだけなんだと勘違い。
ひげおやじさんとのお喋りでレベルアップした私。
トークが下手な私にせら課長は優しくご対応くださりありがとうございます。
せら課長さんを知らない人に↓
何を喋ったかというと
数日たっていると、内容が忘れてしまう私なので、全部は覚えていませんが。
せら課長がフォロワー1000ぐらいから見てたこと。その時は本名でお互いに相互フォロワーしてもらってたこと。
私は間違ったビジネスを始めてしまい。せら課長にDMで営業をかけたことを言いました。
ご本人は覚えていませんでしたが、当時も今も対応は暖かく優しかったのは同じです。
私は三カ月で間違ったビジネスをしてやめましたが、その後やる気を無くしてTwitterから足を遠のき、たまに見るぐらいになっていました。
せら課長は今のままで熱く前向きにツィートしていてフォロワーを増やしていました。
私は謝りたくてタイミングを探していたのかもしれません。
今年の三月にブログとSNSを頑張ろうと決意し、Twitterのアカウントを削除して作り直し今のペンネームでマイペースに活動させていただいております。
不思議とご縁があり、相互フォロワーもしてもらい。私は言葉が降りてくる時だけ、せら課長のツィートに引用RTをさせてもらいました。
素直に応援したい。この人のを見守りたい、そんな気持ちもあったと思います。
私にはない熱い心を常に絶やさずに持ち。出来るだけ前向きに進んでいく。
多分、羨ましい気持ちがあります。持っていないものを持っていると人間はそう思うものだと考えています。
話をすることで、力を頂きました。とてもいい気持ちにしていただきました。
もしかしたら、自分も何かを成し遂げるのではと勘違いするぐらいの。
心を焦がすぐらいに
何かに夢中になったことはありますか?
私は自信をもってこれというものはまだないと思いますし、これからも探すことは続けるのだと思います。
ただ、人の夢中を見ることはこの上ない幸せを共感することができることはわかっています。一番簡単に心を躍らせ楽しくワクワクするエンターテインメントそんな風に見えています。
決して、これは非難ではなく私個人の見方、表現の問題です。応援する人は自分が出来ないことを応援する対象に重ねて一体化していきます。
私はそれを一つのエンタメとして見てもいいと思います。お互いの需要が合っていればそれでいいと。
私はせら課長を特別視しているのは、「打算的」がない人なのです。
打算的というと人格が悪く見えますが、人間は基本的に計算の上で生きる生き物。特に勉強ができればできるほど計算の上で動くようになります。
せら課長が計算が全くない人とは思いませんが、インフルエンサーになる人の中では珍しく不器用でもがきながらも、すべてをさらけ出して着実に上に上がっている人だから。
正直、こんな生き方は合理的でもないし、辛いことが多いと感じながらも見ていますが彼は歩みを止めることはしません。
だから、私は見守っているのかもしれません。
彼に興味をもったなら
応援という形でもなくいいので、フォローして眺めてみたらいいかですか?
久しぶりに人間臭いっていう人を見れると思います。
私の子供の年代には「人間臭い」っていう人種は結構いましたし、テレビドラマでも多く扱われました。
でも、私が初老を迎えたころにはいつの間にか見なくなっていました。
フォローして興味が持てないなら外せばいいだけのこと、Twitterの良さはここにあります。
彼はそんなことお構いなしに前に進んでいると思います。