人と無駄

 ブログの更新が少し遅くなっている。理由はある、ひとつは「体調」と「書きたいもの」。というのも本当に日記みたいにダラダラと書くと、昔のアメブロみたいな誰も読まない日記になってしまう。それでは意味が無い。確かに随筆だが、第三者が意味を感じられない文章を読まされるほど時間の無駄だと思う。

 このブログを立ち上げ当初は「稼ぐ」だったが「文章で稼ぐ」にシフトチェンジしていって結果PV数が減ったという面白い結果がある。要は需要の少なさを表している。それだけ活字離れが深刻ということでもある。私が子供の頃は娯楽なんて、本か漫画、親に制限されるテレビ。そしてファミコンなどいうテレビゲームだ、これも持っている子供の家に子供が集まるぐらいの少なさだ。現在なんかどの家でも子供の数ほど任天堂switch本体がある。株価も自粛で鰻登り任天堂もびっくりだ。

 文章をキチンと書きたいと思う気持ちと稼ぎたいのバランスが文章の方が明らかに大きくなっている。稼ぐためのためになる文章は止めてしまったということだ。だからブログで副業と考える人は私のブログは参考にしてはいけない。ニッチになるからだ、そうなれなるほど、人の数は減る。ということは広告料は大した額は入らないが多少は入る。多少はだ。

 その代わりに、ストレスは殆どゼロになる、当たり前だある程度自由に文章を書けるのだから楽しくて仕方ない。原稿料を貰う文章ならある程度注文とチェックがきて面倒なものだから。ライターでご飯を食べている人は素晴らしいと感じる。私は人によっては喧嘩することもありそうな性格だから物凄いストレスになるから書かない。

 そんな私の今日書きたい文章は、「生き方・人生」を書きたい。大げさなテーマだが、人の最大の悩みだろうなって思う。この物質世界で人間ぐらいだろう「心」「思考」「知恵」がついている生き物は他の生物でも多少はあると思うが、確認できるもので複雑な生き物は私は「人間」しか知らない。

 生物なら生まれて成長し、子孫を増やして死んでいく。それだけの繰り返しに見える。勿論、環境変化によって生き残るために変化をすることもあるが、それも子孫繫栄のため。意味は見る限り感じられない。人間から見て人間しか無いと考えている。もしかしたら他の生物でもあるかもしれないか確認できてない段階では無しにしておきたい。この世界はわからないことだらけなので。

 子孫繁栄するために結婚して子を沢山作り代々続けていくだけなのに、政略結婚やお見合い結婚が不幸だと自分が見染めた(好きな人)と一緒になりたいと言っているのは私は人間しか知らない。動物でもお見合いとか羽を広げて魅力的に見せたりするが、それも強いものが沢山結婚して子を作っていく合理的なもの。人間は非合理的が多すぎるし意味ないようにも見える。しかし、心や思考の世界ではそれが正しいと称賛される。文学作品がそれだ。架空の話を作り、人々の心を満たし感動や哀愁、何かしら心に傷をつける行為だと思う。傷というと聞こえが良くないが、爪痕というとわかりやすいかもしれない。人生とは人を愛するとはそういうものを深く考えさせるのが文学だと思うが、生物の世界では全く要らないものだ。

 人間は非合理的な塊にしか私は見えないがそこに魅力があるもだろうと考える。ドラマや小説を読んでも人間はややこしいと片づけたら、身も蓋も無い、情緒が無い、簡単に考えすぎだとか色んな批判がくるのだろう。人間という生き物は苦しみさえも快楽に変えるのではという考えが浮かんだ。主人公が悩み苦しみ悲しみの中でも僅かな光を頼りに前に進むドラマは王道と言っていいぐらいに人気だ。最近はこれに人間の汚さは怖さをプラスしたものが人気なのも同じだと考える。

 私は文学を嗜むようにしているから、歪んた話や考え方を好むが、一般的にははわかりやすい話を好む人が多いと感じている。

 人間は無駄が多い生き物だという考えが私の中にあり、この原始的な世界に合っていないと感じている。原始的な世界にはそれに合った生き物が自然に馴染んているものだが、人間は明らかに異端に見える。何処かの人が人間はウィルスと似ていると言っていたが、あながち間違いでも無いと思う。まるで、この世界に人間を置いたらどうなるか見たいに誰かがポンと人間を置いたみたいに。その観測記録が沢山の年月がかかって今に至るそんな感じ。私はスピリチュアルとか占いは好きではない。他人にこの仕事も向いているのではと言われたが、どうにも気乗りしない。人の運命を勝手に決めて不安に落としいれてグッズを買わせる商売は好きでない。占い師になるならコンサルティングの方が良いと思う性格だが、私にその実績と経験が無いからするつもりもない。コンサルという仕事も詐欺師に隠れ蓑職業なので一緒にされるのも嫌だし、クライアントに成果が出ない時の落ち込みを考えたら測り知れない。無責任なことはしたくないので。

 一度は経験と思い、スピリチュアルの世界を見てみたが正直合わないというか、お客様になるタイプではないことが分かった。動画で話を聞くのが楽しいがそれぐらい。瞑想やイメージをするのは私にはあっているし気功やエネルギーの事に関しては興味がある。今の科学で解明できない不思議な話が沢山あるからだ。何れ解明される時は来ると思うが私はとっくに死んでいるか、輪廻転生がある世界なら何回もしているだろう。

 こういう話をするとスピリチュアル好きなんですね~って言われるが、少しだけ違う。自分の体験したことで説明がつかないことを仕方なくこちらのカテゴリーに入るのかなと思う。「不思議な話」がその類だ。私自身は求めているわけでもなく、困った結果対処するためにこうなったが正解。普段はこういう話は人にしない。同じように悩んでいる人か体験した人がいたら話すぐらい。世間話で「私、竜神様や天使様を信じています!」って周りに花を巻きながら話する女子は本当に苦手だ。話が合わない。私はそもそも信じていなかったし、いると思っていなかったが。

 私の実家が井戸をキチンと処理せずにそのまま上に床を張って廊下として歩いていた。母方のおばあちゃんが竜神様がお怒りになるから、心の中で「上を通ります。失礼します」思うのだよ。を教えられて、子供ながらに守るぐらいだ。人として当然のことをしてただけ。それも姿を見てしまったら、ある程度は信じるしかないのかと思うが、私の脳みそがおかしい事にしとかないと世間とやってはいけない。しかしながら、このような悩みは今の段階では解決できないので放置にしている。気にしない。これが大事なんだ。

 この世は説明できないことだらけで面白い。脳みそで遊ぶことができるのは人間だけの特権だ、世間から追い出されない程度に楽しむと生きることが楽しくなる。不完全なのが人間、完全なのが神。どちらも人である。それ以上求めると見えないエネルギーになるから人でとどまる方がいい。

 ただ今を生きるそれだけ。

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