手を合わせる

最近、友人と軽く言い合いをしてしまったなと反省したんですが、友人にとっては言い合いにもなっていないという。素晴らしき天然素材を見せていただきました。私の友達は楽しい方が多くて幸せだなって感じました。

さて、その言い合いの内容ですが、「無宗教」というワードです。相手にとっては「無宗教」とはどこの宗派にも属してないけど。神様仏様全部全ては素晴らしいと尊敬と感謝しているよ。って話だったのですが、「無宗教」という言葉を最初に聞いて私の考える宗教の価値観を話をしているうちに誤解だということがわかりました。

この言い方は誤解が生じるから、「私は神様や仏様を信じて感謝はするが、何処かの宗派や宗教には属しない」と長いようだがこう言う方が、要らない話をして時間を無駄にしないなと思った。

私は実家が農家なのもあるのか、浄土真宗をしているらしい。まだ子供だったので詳しいことはわからないが

「南無阿弥陀仏」と唱えていたことから浄土真宗と推察する。親たちも詳しいことはわかってないから何となく浄土真宗と思っているだろう。

そんな私も十三年前に今の主人の家に嫁ぐことになったときに改宗をすることにした。嫁いだ家は信仰に力を入れている家でもあったので私も毎日、経を唱えることになるが、お姑様と上手くいかないこともあり。仏間はお姑様の場所として認識して遠慮しているし、長い時間お経を唱えているのもあるので邪魔しないようにしている。

一緒に暮らす前に夫婦で持っていた本尊と小さい仏壇があるので私の仕事部屋に置かせてもらい、実家の供養とお経はそこでさせてもらっている。私には実家というものが無いので嫁に行ったのにも関わらず実家を継いだような形になってしまっている。長男も父との確執で都会にいて六年前に他界。次男も父を嫌い関わりたくないと私にお願いしているので私が実家に関わることになる、仕方ないと言えば仕方ない。

父親と母親には私の嫁ぎ先の信仰に改宗はしてもらったが、本人たちの意識は薄いし痴呆が進むとそれすらわからなくなる。私も一度改宗をしてしまったので親には「南無阿弥陀仏」を唱え自分の時には自分のを唱えるのも変な話で。私の信仰で統一させていただいている。

今の時代はこういう問題も多いかもしれない。嫁ぎ先の宗派によって変わってしまうこともあるし、実家に跡継ぎがいなくて嫁いだ娘が色々と関わらないといけない話も多いと思う。私は生まれた家の人間としてできる範囲でやらせてもらうしかできないが、そのことで自責の念に駆られてはいけないと思う。

毎日、実家のご先祖様に手を合わせることが出来るのも恵まれた環境だと思うし、父も祖母も怒らないと思うからだ。ただ、私の身体が強くないのでいつまで出来るかわからないが、その時は墓を閉まって小さな仏壇で手を合わせたいと思う。

手を合わせて、日々の感謝と尊敬ができるのことが幸せと気付けるのは喜ばしいことだと思う。

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