原点

日々の生活が同じことの繰り返しなのはわかっている。

でもそれが、ある日を境に崩れる。

思い起こせば、2022年の11月我が娘の無茶ぶりから始まった。

「ママ、卒業アルバムに親のお祝いのメッセージがあるの」

「あ、それならパパにお願いして」

「ママに描いて欲しいの」

「文章ならパパが真面なの書いてくれるぞ、私だとふざけるし」

「アーニャ書いて欲しいの」

「あ? あーにゃ?」

その時の私には スパイファミリーのアーニャが何かの暗号でしか解らず。

頭の悪い動物の様に口を開けたまま呆けていると

「とりあえず、これ見て描いてよ!」

と娘はiPadの画面を見せてくる。

そこには可愛らしい 桜色というかピンク色のクルクルとカールした角が生えたような女の子のキャラが

(うえ~~~~~~~~~~?しらね~)

何故、子供という生き物は親に無茶を投げてくる生き物だろうか

娘が三歳の時、永遠にアンパンマンとばいきんまんとドキンちゃんを

幾度も幾度も描かされたトラウマが蘇る。

「ぱぱぁ・・」

「それは、お主にしかできん 頼む」

名前を呼ぶとともに私に責務を投げ返す、社長(パパ)

畜生目、普段から面倒な仕事を回す癖に、ここでもか パパよ。

取り敢えず、アニメとキャラクターは教えてもらったから 自分なりにネットから資料を探す。

個人的にpixivから描いている人のイラストを参考にして

模写にせずに自分のイラストと融合できるかやってみる。

これが大変だったのだよ。 何しろ私がイラストを描いていた活動は10年足らず。

しかも、小学二年生から中学三年生までで

私の現在の年齢はアラフィフ近し…

三十年はブランクがあるのです。

何が問題かって?

絵柄が古い

しかしながら、娘の卒業メッセージに描いてやると喜ぶのは解っている。

丁度、道具もある。(娘が小二に漫画描きたいというて 道具を揃えていたのだ。ま、それも一か月も持たなかったが)

クロッキー帳に描いていく

お、なんだこの感覚は

おお、おおおおお

きもちいい…

何とかなるかも

そう思いながら描き続ける

本番の下書きをしてミリペンで線画していく。

感覚を思い出すのに必死で老いた身体、神経をフル回転。

人間というものは上手くいくと更に欲が出てくるもので

「スクリーントーン張りたいな…」

即行に大型店舗に入っている本屋に行き画材コーナーでスクリーンを見繕って買ってくる。

キッチンの机はトーンで埋め尽くされる。

ああ、子供の頃は高くて中々買えなくて選ぶのも真剣だったし、枚数限られてから大事に使ってたな。

今は、アラフィフ目前のいい大人。迷いなく大人買い。 大人っていいね。

娘のイラスト画材も買う時もお金よりも自分が羨ましいなぁって思いながら買ってたっけ。

色んなこと、思い出しながら描いていく。

そんなこんなでベタ塗りもしてトーンを張りイラストは完成 あとはメッセージだけ

一か月でイラストを諦めた娘。

楽しく描いてたら絶対に続くんだけど、娘は学校のイベントで模写だがイラストは描いてるらしい。

それでもいい、最初は頼まれて嫌々模写で書いていくと周りに感謝される

それが癖になって描き続けると少し成長していくのがわかれば…

私は、一人でイラストを描くのが楽しみだった

中学生になると美術部入ってからは同じ仲間が沢山いた。

だから10年は続けられた。

アニメーターやイラストレーターになる夢を持っていいたが

戦前生まれの親に大反対されるのと、高校あがる時に絵を描くのにスランプなってやめてしまった。

三十年もブランクあったのに身体が描くのを覚えているもんだね。

今では、仕事に就く必要もない

残り短くなる人生をイラストを描くのに当ててもいいのかもしれない。

卒業メッセージは

為せば成る

為さねば成らぬ何事も

成らぬは人の為さぬなりけり

意味は

どんなことでも、やろうと思って努力すれば必ず実現できる

この言葉を娘に送りました。

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