今までとこれからと

牛の歩みに近い執筆は続く。詩も書けるときにしか書けず、私の精神が平和な証拠なのかもしれない。心が殺伐としている方が詩は書ける気がするのだ。

いや、人にもよるのかもしれないが、精神が安定していれば沢山の文章や詩を書ける人もいるだろう。私には不幸がお似合いだと子供の頃から思い込んでいる節がある。

何故、そう思うのか― 慣れないのである、単に。幸せというものに慣れていないだけだった。かと言って生まれた時からずっと不幸の連続の人生ではなかった。いじめは受けていたが、自分で回避できる、要は逃げ回ることもできたし、流す技術もお手の物だったから大した逸話もない。

でも、慣れないのだ。どうにもこうにも、今では人が羨む環境の中になっても、余裕がある生活をしていてもだ。もしかしたら、私の魂が慣れていないのかもしれないという仮説を立てた。

私は前世や生まれ変わりを重要視していないが、無いと思ってはいない、ただ今を生きているには必要ないと思うからだ。 前世がお姫様だろうが犯罪人だろうが関係ないと思うからだ。

しかしながら、魂は記憶が無くても積み重ねがあると聞いたことがある。実証もないから真実かどうかもわからないが、私が幸せになれない理由はこれで、片づける事はできる。全くもって面倒だから投げつけているに等しい。

人に褒められるのが苦手な人、どれだけ騙されてもすぐに信じる人色んな人もいるが治らないのは魂の癖ということにしてしまえば、とりあえず落ち着く。ひどい話だけど。

スピリチュアルは一番好きじゃない知らないおばさんのアドバイスを受けて変な物を買わされるよりは自分で解決した方が余程マシに思うのだ。

心が安定しているよりは、少しだけふらついている方がいい文章が書ける自分。幸せすぎるとね細かいことが見えなくなる。不幸になれと言わないけどね。このパターンは私の話なので鵜呑みにしないでね。

稼ぐためのブログはどうにも私には合っていない。私に興味を持って文章を読んでくれる人が来てくれるだけでいいやってなりました。凄いペースになったけど自分にあった速さで毎日は進んでいます。

コロナが出てきて、世の中がガラッと変わってしまって、私たちの価値観が問われている感覚がある。危険を冒してまで稼ぐ必要性。お金をかけずに生きていく生活。都会に住む意味。色んな価値観が二極化というかキッチリ別れてきました。

私は、地方で自分のペースで贅沢出来なくてもキチンとした生活ができるのが理想となりました。 食事の量が減ったのも、健康に気をつかうのも、着るもの持つものを見直ししてみたり。遊びに行く場所を変えたり厳選してみたり。人付き合いを変えてみたり。

そんな年になりそうです。

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