生きるか死ぬかそれが問題だ

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今日はどちらかというと気分が良い。毎日が気分が悪い日なんて地獄の日々だから私は自分の気持ちをコントロールする。

これは生きていく上でとても大事なことだと考える。コントロールすることによって自分のコンディションさえ整えることができるからだ。

人間は気持ちの生き物だと言われる。だからこそ、気分の悪い日があってはいけない。

出かける前に雨が降っているだけで



「今日はついていない」



と一日を台無しにするのはあまりにも勿体無い。

私の主人はこのタイプに近い。いつも勿体無いと彼に伝える。



「些細なことであなたの全てが台無しにするのは勿体無い、あなたは能力が高い人だから」



そうすると、彼は一呼吸する。先ほど起きた不運は些細なことだからと自分の気持ちをコントロールし始める。



私の役目は人の気持ちを整える。価値を気づかせてあげる。トラブルが起きても冷静に一緒に考える。



時には嫌な判断を進める


これは、経営者である以上は避けられないことだと彼を説得して出来るだけ主人が出来る方法を一緒に考えメンタルを整えることをする。


主人は、経営者としては優しすぎる。

でも、環境は彼を経営者にさせた。死期が近い実父は主人を代表取締役として登記させた。

義母は何故社長にしたと実父を攻め立てたそうだ。

そりゃそうだ。倒れる寸前の会社の社長にさせる行為なんて親が子供にする行為じゃないだろう。



私と主人はこの頃から友人として知り合い、お互いに苦労をしてきた。

私が主人に金銭を貸していた頃はこの頃から、中々返せない主人に



「信用して貸しているんだから、せめて返せないから待ってくれと言ってくれ、決して逃げることはするな」



そう伝えたことが懐かしい。




そのお金は返せない事はわかっていたから

「お金が返せないから、労働で返してくれ 私は一人暮らしで女だから男手が欲しい、それでいい」



私が変わっているのはわかっていた。私はお金を貸すことは決してしない人間。

貸すということは、返ってこない時の相手の態度で私の行動が変わるということ。

主人にはそんなことをしてほしくなかったので、ヒントを出していた。

このように、私は常に心をコントロールして状況に対して判断をしていた。あくまで冷静に。

私たちが結婚する切っ掛けになったのは私が倒れたから、働けない状況が続き。主人は私を保護した。



この時の恩を返すために主人の会社を一緒に立て直してきた


結婚して13年経過して、子供も二人恵まれ会社も奇跡と言われる位に持ち直してきた。

私の力がいるのはあと8年位だと考えている。

その頃には子供も大きくなり、会社もそれなりに安定する計画になっている。新しい事業も出来ている予定だ。




私の役目は一旦そこで終わりだと思っている。

組織が得意ではない自分が会社にいること自体が苦痛だから。

ひとりの時間が本当に心地よいから。

思考を止めることができる時間が本当に楽だから。

だから、四回目の離婚はお互いに納得してする離婚。

私の我儘でする四回目の離婚。




主人は当時、今にも死にそうな位のメンタルで目を離せなかった。

彼の父も死んでいたから余計に

身内の自殺は残された家族にも呪いをかける。

私はその呪いを解くのに必死だったかもしれない。

私にはその呪いは効かなかった。




子供の頃から感情が無かったわけでもなかった。どちらかというと激しい子供だったはず。

これじゃ駄目だと、自分でコントロールする訓練を繰り返した。

苛められた時も同じ訓練をした。心を痛くならない訓練。 

苛める相手さえも気にならない子供になった。

余計に苛めは酷くなったがダメージは皆無だった。

その時ぐらいから、学校の先生さえも、私に距離を置くようになった。

扱い方が解らなくなったんだと思う。

私には感情が無い方が楽だったので、そのまま高校生まで突き進み。

高校の頃はミステリアスなキャラとして人気が出た。




まったく、人生ってどこでどうなるか分からないものだと思う。

今は、会社役員しながらのブロガーと小説家目指す。変態にとしてTwitterで遊んでもらっている。

これはこれで楽しい人生。




何を言いたいかというと

人生って死にそうなぐらい辛いことあっても実はそうでも無いって真実がある

死ぬなんて勿体無い。

嫌でも死は、やってくるからその時を楽しみに待つの。







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